中医学・薬膳学の歴史⑥ 宋の時代~近現代


宋の時代(960~1276年頃)

この時代に国家により、医療行政機関と医学教育機関が設けられ、また国家薬局が設立されて薬物の仕入れと販売が国の専売となりました。

医学史上最初の官立の薬局が開設され、南宋の頃に「太平恵民局」と改名されたほか、「太平恵民和剤局方」(たいへいけいみんわざいきょくほう)という中薬と方剤、剤型、配合規範に関する専門書が頒布されました。

その中に「食治門」という項目があり、28種の疾病に対する食療の方法が書かれています。たとえば牛乳の性味は微寒で止渇や補虚の効能があり、糖尿病の治療に用いる。小豆や黒豆でむくみを治療する…などというものです。

 

また西洋医学に比べ遅れていた解剖学も、この時代に大きく発展し解剖図が作られました。

アジアの各国では古来より、親から(あるいは天から)授かった大切な身体を損なうことは、好ましくないこととする思想が有力であったことによると思われます。

 

針灸はこの時代に大きな発展を遂げました。

王惟一(おう いいつ)さんが、等身大の医学模型である「針灸銅人」を鋳造し「銅人腧穴針灸図経」を描きました。これは、銅で作った等身大の人形に経絡と腧穴を設けた中に水銀を満たして、表面をロウで封じておきます。実際に治療針を打つ医師試験の道具として用いられました。疾病に応じて針を打つべき経穴や、その深浅を見極めたのでしょう…すごいですね!

受験者は目隠しをして人形に施術し、経穴に針を打つと水銀が流れ出る仕組みなんですね…。東京国立博物館には何体か所蔵されているそうですから、いつか見てみたいものです。

 

 

宋の時代までは、人口の92%を占める漢民族が支配した時代です。続く金元時代はモンゴル族が欧亜を支配し、各民族の文化交流が進みました。現在の中国は、56余の民族が暮らすといわれています。

 

金元の時代(1116年~1368年頃)

この時代に著された書物に「善治薬者不如善治食…」と記述があります。長い全文ですが、「水産物や農産物は多くの種類があっても、気味や作用は薬と同じである…それに関する知識を知り、調合して使えば効果は薬の何倍もある。よく薬を使う者より、上手に食を利用する人の方が良い…」のような意味です。この頃には長い実践と経験を通じて、食物は薬効が目立つものと栄養価が高いものとに分けられ、「中薬」と「食材」に分類されていきました。

ところで、脂っこい料理…というイメージの中華料理は、北方の肉食が盛んなモンゴル族との食文化との交わりからでき上ったそうですよ。宋時代までの料理はあっさりとして、日本食のイメージに近いものだったようです。

 

宮廷の医師「太医」である忽思慧(こつしえ)さんが「飲膳正要」(いんぜんせいよう)を著しました。中国では最初の栄養学の専門書です。飲食の五味は五臓を調和し、気血を充実し、精神を元気にし、情緒を安定させる。すると邪気が体に侵入できないので健康になる…と身体の健康における飲食の重要性について述べています。

また、北方遊牧民族のモンゴル族の食習慣にも言及。牛・馬・豚・羊以外に、ゾウ・ラクダ・トラ・オオカミなどの動物肉類についても詳しく載せています。

 

金元時代は中医学の各家学説や医学流派が盛んになりました。なかでも次の金元四大家の流派が有名です。

李東垣(りとうえん)・・・補土派の脾胃論(脾胃が傷むと多くの病気の原因となる、胃気の補益を重視する)

劉完素(りゅうかんそ)・・寒涼派の火熱論(熱証に対する寒涼薬の使用推奨する)

張従正(ちょうじゅうせい)・・攻下派の攻邪論(汗法・吐法・下法により邪気を駆逐する)

朱丹渓(しゅたんけい)・・滋陰派の相火論(陰陽のバランスにおいて、陽は常に余り陰は不足する→滋陰降火する)

 

 

明の時代(1368年~1644年頃)

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なんといってもこの時代は、李時珍(りじちん)さんの「本草綱目」(ほんぞうこうもく)です。27年をかけて52巻にまとめられた薬膳学の代表的な書物で、その時代までの薬用として記載された植物・動物・鉱物などの形や効能を、図と説明で著しています。

さらに気味陰陽や五味宜忌、四時用薬といった内容もあり、薬は1892種、方剤は11916余り載せています。たとえば難聴の症状について、原因は腎虚・気虚・鬱火・風熱があるとし、弁証により違う食薬と薬膳的な治療方法を提示しています。また薬粥は42種、薬酒は75種が載せられており、世界中で翻訳され現在も読み継がれています。日本には江戸時代に、長崎に伝わりました。

私も携わった「薬膳素材辞典」制作の折、図書館で初めて本草綱目を手に取りましたが、繊細な日本画様の図と筆文字に美術書のようだと感動したことを思い出します。機会があれば、ぜひ閲覧してみてくださいネ!

 

ほかにも張景岳(ちょうけいがく)さんが内科の名著「景岳全書」(けいがくぜんしょ)を著しました。中医学全般について著されていますが、特に補腎について詳しく述べられており、高齢化社会に役立つ内容となっています。

また新たに、温病学説が生まれました。それまでは「傷寒雑病論」の処方が中心でしたが、少数民族の流入や外国との交流が増え、伝染病などが増えたことに対応する新しい方剤が発明され、医学はさらに発展しました。

楊鄭和(ようていわ)さんが船隊を率いて南海に7回もの大航海を行い、ケニアのマリンディに到達しました。訪問した国々と医学の交流を盛んに行いました。この時代ヨーロッパの宣教師が多く中国に入り、西洋医学も伝道されました。

 

 

清の時代(1644年~1911年)

温病学説が完成し、金元四大学説が浸透しました。でも最大の変化は、西洋医学との結合です。

宣教師がマラリヤの治療薬などを携え、時の皇帝の治療にもあたりました。マカオに病院や医学校が作られ、中西医学の結合が推奨されたのです。

張錫純(ちょうしゃくじゅん)さんの「衷中参西録」(ちゅうちゅうさんせいろく)は、中西医結合を提唱しました。

王清任(おうせいにん)さんの「医林改錯」(いりんかいさく)は、それまでの解剖学を見直し、改訂を行ったものです。

国家としての医学叢書「医宗金鑑」(いそうきんかん)も著され、孫文など優れた留学生が数多く送り出されました。

 

また、曹滋山(そうじざん)さんが「老老恒言」(ろうろうこうげん)を著しました。これには食材と中薬を使った老人のための薬粥100種が収められています。上品の粥36種、中品の粥27種、下品の粥37種で、上品の第1位は蓮子(蓮の実)の粥です。粥を炊くときには土鍋を使うことを強く勧めているほか、養生法として散歩や気功・体操などについても述べられています。薬膳学は円熟期に入りました。

※食薬における上品・中品・下品とは、効能もさることながら服用して出る体への影響を表しています。上品とは長期服用しても副作用がなく、虚弱な人にも使え補養の効能にすぐれたものを指します。中品とは上品の次に勧めるもので、子供や老人、虚弱な人に使うのには加減を要するものを指します。下品は効能が強い反面、長期服用すると正気を消耗する恐れがあり、効果が得られたら服用をやめるべきものを指します。

 

近現代(1911年~)

歴史は大きな転換期を迎え、中国封建時代は終わり、1949年・中華人民共和国が誕生しました。

解放から医学の統一教育として、中医薬膳学は大学で学ぶようになりました。中医・西医・中西医結合医の3種があり、大学によって配分は違いますが必修科目となっています。

2002年には全国12の中医薬大学の教授・専門家が集まり、初めての「中医薬膳学」の教科書が発行され、さらなる発展を続けています。

 

歴史については今回で終了です、お付き合いいただきありがとうございました。

歴史についての過去記事は、下記をご覧ください💛

中医学・薬膳学の歴史③ 春秋戦国~秦の時代

http://saikoko.com/2017/03/05/中医学・薬膳学の歴史⑤ 東晋・南北朝を経て唐/

http://saikoko.com/2017/03/05/中医学・薬膳学の歴史⑤ 東晋・南北朝を経て唐/


 

さて、4月上旬に実施された国際薬膳師試験ですが、おかげさまでみな好成績で合格できました。お疲れさまでした!

またブログを見て、弁証論治トレーニングに取り組んでくださった方々からも、合格のうれしいお声を聞くことができました。みなさま、おめでとうございます!そしてありがとうございました。

みなさまの今後のご活躍をお祈りしております♡

当方も拙い投稿ばかりですが、まだまだ発信していくつもりです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

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