中医学・薬膳学の歴史⑤ 東晋・南北朝を経て唐の時代へ

前回は、漢の時代で止まっていた中医学・薬膳学の歴史について久しぶりの投稿です。あと2~3回で現代までをまとめたいと思います。唐の時代には、重要な人物とその著作がありますよ!

東晋時代には、脈診方が確立されたほか中国で最も古い針灸学の専門書「針灸甲乙経」が著されました。
この時代、世界で最も早く脚気病を見つけたり、狂犬の脳を使って狂犬病の治療をするなど優れた功績を遺した医師・葛洪(かっこう)さんが有名です。
南北朝時代は、陶弘景(とうこうけい)さんが「本草経集注」を著し、神農本草経から365種、名医別録から365種の合わせて730種類の食薬について編纂し、さらに薬学を発展させました。
また「雷公炮炙論」が著され、本草を中薬に加工する方法がまとめられ現在に至るまで使われています。
期間は短いですが、日本が小野妹子ら遣隋使を中国に送った随の時代は、国立の医薬学大学に相当する「太医署」が設けられ、医薬学だけでなく中国の歴史にも大きな影響を与えました。
次は唐の時代です。奈良県・高松塚古墳に描かれている「飛鳥美人」は、唐の時代の中国の風俗や服装の影響を受けているといわれていますね。
唐の時代は、薬王と尊崇される孫思邈(そんしばく)さんが「備急千金要方」(びきゅうせんきんようほう)と「千金翼方」(せんきんよくほう)を著しました。この2つをまとめて「千金要方」または「千金方」と呼んでいます。
内科・婦人科・小児科・外科の各病症や養生など多岐にわたる記載のほか、5300種に上る処方が収められています。
この中で、医師は病因病機をしっかり見極めたうえで、まずは食によって治療を行い投薬はその次の手段であると述べています。また、羊や豚などのレバーや骨髄・筋・胆などを用いて目の疾病を治療する記載があり、動物の臓腑によって人間の臓腑を養うという病気の治療や予防方法が確立していたものと思われます。
「備急千金要方」と「千金翼方」は、臨床においても養生においても有用な第一の百科辞典と称されました。
孫思邈さんは、「大医精誠」(医療の技術を極め、患者に誠意を尽くし、初めて医師として大成する)の理念を説き、医師たる者の倫理綱領を教示しました。
孫思邈さんの弟子となり、優秀な官僚でもあった孟詵(もうしん)さんは、師の「備急千金要方」を参照して「食療本草」(しょくりょうほんぞう)を著しました。特に補益薬物を整理し138種もの薬膳処方が編集されており、これは中国における最初の食療の専門書とされています。

同時代、一般家庭でも茶が日常に欠かせないものとなっており、陸羽(りくう)さんが世界で初めて茶の専門書「茶経」(ちゃきょう)を著しました。茶樹や土壌の性質と茶の品質、製茶や茶道具などについて詳しく述べ、「茶聖」「茶神」とも呼ばれました。現代に通じる茶の効能や、楽しみ方についても書かれています。
私たちが歴史を学んだ中でなじみの深い事柄として、鑑真和上が日本に渡ったことがあります。5度の失敗の後、失明の苦難をも退け仏教と医学を教授し、日中文化と医学交流に多大な役割を果たされました。
次回の歴史は、宋の時代からです。
お付き合いいただきありがとうございました。
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