中医学・薬膳学の歴史① 始まりは古代
私の薬膳生活は、たまたま…で、なんとなく…始まりました。
結婚を機に、主人のUターンについて帰った田舎で時間を持て余し、ひま~な薬店でパートを始めたことがきっかけです。
お客さんが誰も来ない店内で薬のパッケージも眺め尽くし、なんか読むものでもないかな?と出てきたのが埃だらけの「中医薬材なんとかかんとか…」的な、どの薬局にも一応置いてあるのかな?な本で、中には薬の材料になる動植物や鉱物が載っていました。
中でも動物は、ミミズやらモグラやら蜘蛛やら…なんでこんなもの口に入れてみたんだろ~!?とおかしくて不思議で興味が湧きました。 店の方はお客さんがゼロな日が続き、もうそろそろ撤退じゃない?と感じた頃、同僚が「時間が余ってるのなら、薬種商の免許取って引き継いだら?薬屋は安定してるわよ~。」とそそのかしてくる有様でしたが、なんか理数系っぽくて無理だろうなと思っていました。
それからしばらくは、ふーん、薬屋は安定してるのか…理数系を勉強しなくていい薬関係の仕事ってあるのかなぁ?と時々考えたり、親しい人に「それなら(なんで?)漢方薬局がいいわよっ!」と力説されたりでネット検索をしていると、ある日薬膳がヒットしたのです。
あ!薬膳って料理じゃな~い♡、料理作るの好きだし、わ!亡くなった父は薬剤師だったんだし(血を引いてる?)向いてるかも~できるかも~と思い込んでしまったんですね。
それからは憑かれたように勉強の手段を探して、通信教育から通学、資格試験を夢中で駆け抜けて今日があります。 これはつまらない私の歴史です、ゴメンナサイ!
中医学や薬膳学は、資格を取るまでの勉強は本当に覚えることが多くて大変なんです。そんな中で歴史の勉強は、おもしろいがエピソード聞けて楽しい授業でした。
秋は読書にいい季節ですので、長い長い歴史について書いてみます。

中国4000年の歴史…といいますが、それは文字による記録が残っている「夏」の時代、紀元前2000年ごろからカウントしてということです。上古代や遠古代といわれる神話的な時代を合わせると1万年ぐらいになるといわれています。
人類の歴史としては、1929年に北京原人が周口店洞窟から発掘され、約50万年前のものとされていますが、その後1965年には170万年前の元謀原人の存在が確認されたそうですね。これは戦争中に紛失しているらしいのですが、実はこの同じ時代の脊椎動物の化石を「竜骨」といって中薬として私たちは使っているんですよ。
さて古代の伝説の中から、中医学の重要人物を3人ご紹介します。
伏儀(ふっき)さんは、古代の鍼を使って治療に使うことを創造しました。当時は衛生状態が悪いことや、動物性のものを食べて体に熱がこもると発疹や炎症・化膿をひきおこしやすいことから、膿を出させる必要があったためです。伏儀さんはこの他、易学の八卦を書き記したともいわれています。
神農(しんのう)さんは日本でもおなじみの神様ですね。「炎帝」とも呼ばれ、農業を普及し草薬を発明した王様です。頭と両手足以外は透明で、自分の胃腸の中を見ることができたそうですョ! 毎日フィールドワークをしいろいろな草木を食べてみて効能を調べたため、「日に七十二毒に当たる」と後に書かれています。 ある日、山の上で毒に当たり、気を失って山から転げ落ちたところが茶の木の下で、偶然にも茶葉の露が口に入り解毒されて意識が戻った…エピソードがあります。茶葉は、清熱類として薬膳にも方剤にも使われています。 神農さんのご縁日には、多くの製薬会社の方たちが今もお参りをされていますよ。
黄帝(こうてい)さんは(軒轅氏とも有熊氏ともいわれる)中国で最も尊敬される人物です。若い黄帝は老王の神農との戦いに勝って中国を統一、優れた統治者の神農さんと共同統治をしたといわれています。黄帝さんは中国文化、飲食、衣服、算数、音律、養蚕を創造したほか、特に中医学理論の基礎を作ったという伝説があります。「黄帝内経」(こうていだいけい)という古典は、黄帝さんと師の伎伯さんとの問答形式で中医学理論が語られており、中医学を学ぶ人の必修本といえます。
「黄帝内経」は著者不明で春秋戦国時代に成立しました。全18巻のうち1部に当たる9巻を「霊枢」(れいすう)といい、経脈・経穴・刺鍼・営衛・気血などについて詳しく解説し、実践的・技術的なことが書かれています。
2部に当たる9巻は「素問」(そもん)といい、自然科学や人体の生理・病理、診断、治療、予防などについて書かれています。中でも病気の予防について書かれたものが多く「治未病」の考え方がすでに重要視されていたことには驚きます。
歴史の第1回目はここまでです。お付き合いいただきありがとうございました。
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